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2010.7.16   【狂】

Novel stage / Fun Fiction:QМА

《ほのぐらいやみのなかから》  Leon*Yu?


 


 

 追ってくる。逃げなければ。
 掴まったら、掴まったら……!

 ユウは古めかしいアカデミーの中を走っていた。
 出来るだけ息を殺して、足音を殺して。
「どうして……どうして…………」
 切れ切れの息の中で、泣きそうな震える声が微かに言葉を残す。
 駆け抜けていく廊下の窓から入ってくるのは月と星の光。闇に包まれた校舎で、少年にとってそれは僅かな道しるべ。
「……こんなことに……なっちゃった、の……」
 絶望に染められた紫色の瞳が涙に濡れる。
 霞む視界にはクラスメイトや先生と話し、学び、遊んでいる、いつものアカデミーが映る。何も普段と変わりない。
 だが。

 かつ……ん…………かつ……ん……。

 響く靴音は、確かに少年の背後へと近付いてきている。
「……っ!」
 少年は口を手で覆い、必死に息を殺す。
 音楽室の前を抜けて階段を下りれば、図書室と教室、更に外へと続く扉。
 彼は咄嗟に外へと繋がる扉に手をかける。取っ手を掴み、動かそうとするが、押しても引いてもその扉は動かない。

 かつ……ん…………かつ……ん……。

 足音が頭上から聞こえてくる。もうそろそろ階段の段差に足がかかる頃だろうか。
 怯えながら周囲を見回す少年は外へでることを諦めて、振り返った。選択肢は図書室か教室。
 その足は自然と長い廊下の方、つまり教室へ向かう。
 震える手が教室の扉をゆっくりとスライドさせると、今度はあっさりと開く。
 急いで中へ入ると慎重に扉を閉める。相変わらず足音は近付いているがその間隔が早まることはない。
 少年は足音を忍ばせて教卓の陰に隠れた。
 自分の身動きがなくなると、高まる心臓の音や響いている外の足音がよりはっきり、大きく、聞こえてくる。

 かつ……ん…………かつ……ん……。

(おねがい……もう、おわって…………)
 ユウは両耳を塞いでただじっとうずくまっていた。
 この恐怖の瞬間が、一瞬も速く終わるように祈って。

 かつ……ん…………かつ……ん……。

 かつ……ん……かつ……ん……かつん……かつん……。

 階段を降りて、廊下を歩いてくる。教室の前の廊下を通過する足音。
 緊張した少年がぎゅっと手を強く握った。
 息が、鼓動が、追跡者に聞こえないかという緊張に襲われ、かえって身体が震えそうになる。
(おわって……!)

 かつん……かつん……かつ……ん……かつ……ん……。

 近付いてきていた足音が、遠ざかる。
 段々、遠くなる。

 かつ……ん…………かつ……ん……。

 離れていった音が止まる。がちゃり、と扉が開いた。中庭へと続く扉が開く音だ。
 外に出てしまえばもう足音は聞こえてこない。
 夜の静寂が校舎を包み込んだ。
 一分。二分……何も動く気配はない。
「おわっ、た……?」
 ユウは恐る恐る立ち上がった。庭に面した窓から見える光景に人影はなく、空から降り注ぐ優しい光だけが緑を照らしていた。
 呟きに反応する気配も感じない。
「あ、あ」
 安堵のあまり、緊張の糸が切れた少年はその場にへたり込んだ。背中が教卓に当たる。
「よかった……」
 深々と息を吐き出すと、たまっていた涙が一筋、ぽろりと零れ落ちる。
 窓からの光が水滴をも輝かせた。

 窓からの月の光が届く位置に、教卓はないのに。

 ユウの頬を流れ落ちる滴がそっと掬い取られた。
 細く、小さな身体も、片腕で抱き取られる。
「……え……?」
 夜のアカデミーには誰もない。いなかった。
 いたのは、少年と……。
「逃げるなんて、酷いだろ」
 彼を追いかけていた、狂気の追跡者。
 少年がおそるおそる視線を後ろへ流す。
 僅かな月や星の光に照らし出される、赤い髪。逆光になってまったく見えないが、少年にはその表情が見なくてもわかった。
 何度も何度も、見た笑みだから。
 狂ったような、壊れたような、威圧しか与えない笑み。
「……レオ、ン」
 ユウの唇から、名前が零れ落ちる。
 安堵を浮かべていたはずの紫色の瞳が恐怖と絶望に染まった。
「ユウ」
 追跡者はあくまでも優しく少年の頬を拭い、そっと撫でる。
 だが一方で、少年の身体に回した腕には痛いくらいに力がこめられていて決して自由を許さない。
「ようやく、掴まえた」
 にぃっ、とその唇が三日月の弧を描く。
 そこには既に気のいいクラスメイトの姿はなく、狂人の域に達したものだけが見せる恐怖の姿だけが具現化されていた。

「もう、離さないからな」

「……ぅあああっ!?」
 叫び声と共に、ユウはベッドから跳ね起きた。
 冷や汗がシーツを濡らすほどに流れ、毛布を握り締めた手は血の気をなくしている。
「いま、の……ゆめ……?」
 跳ね上がった心臓の鼓動は夢の中と同じくらい速く、強く、脈打っている。
 窓から差し込む朝の光にも癒されることのない恐怖が、未だに少年を支配していた。
「う、うぅ……」
 痛いくらいに響く体内の響きをおさめられないまま、少年はわけもわからず瞳から透明な滴を零した。


 Fine.


 

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