大陸の遥か南、多数の島々の中でももっとも大きな島にある港町、マリンパーチ。大陸の各都市との中継交易によって栄えている貿易都市である。
その中心の一部を担う神殿の神官長室では、ここ数年日課と化してきた神官長代理と補佐の攻防戦が繰り広げられていた。
「書類が片付くまでは外出禁止ですからね」
耳の尖った背の高い女性がこめかみを引き攣らせた笑顔で、ペンを回して遊ぶ神官長代理に告げる。
「そうはいうが、港の視察だって重要な役目だろ」
返ったのは文句。だが、流石に捕まった以上、一応は書類に手を付け始めている。単になぜか用意されている足枷のせいで他にすることがないともいえる。
「あなたの場合は『視察』じゃなくて『遊びに行く』でしょう。どうせ港の酒場によって酒盛りして帰ってくるのでしょうから」
女性は大きなため息をついた。
「なんだ、うらやましいなら一緒に行くか?」
「行きません!」
にやりと笑う狼族の神官長代理へ怒鳴り声が響いたところで、扉が遠慮がちにノックされた。
「はい」
女性が出ると、見習いの神官が港から神官長代理へ荷物が届いているという連絡だった。
「ディアスロンドからの荷物で、かなり大きいのですがここへ運び込んでもよろしいですか?」
補佐が口を開くより早く、神官長代理が声をかけた。
「んー。いや、それなら俺の家の方へ届けといてくれ。ちなみに急ぎか?」
「いえ、そういうことは聞いておりません」
「じゃ、問題ないな。よろしく」
ひらひら手を振って送り出され、神官は一礼して部屋から出ていく。その後ろでは、
「率先して出ると思っただろ? そうそう思惑にはのってやれんなぁ、クラウディア」
「いいからちゃっちゃと済ませてください」
にやにや笑う神官長代理とそっぽを向く補佐。
だがそんな雰囲気とは裏腹に彼の目は笑っていなかった。
「さて、と」
ぐちぐちと文句を零してクラウディアを切れさせつつ書類を片付け終わったシズネは、家に届けられていた木箱を開け始めた。
(ディアスロンドからこんなものが届くってのは、どう考えても嫌な予感しかしないんだよな)
最悪、被害を受けるのが一人であればいいと願って彼はこちらへと運ばせたのだった。
「よっと……」
木箱の蓋は船に載せるためかひどく硬かった。しまいには物置の中で眠っていた工具まで引っ張り出して、ようやく、ばこん、と箱の蓋が弾け飛ぶ。
「さて、と……?」
中を覗き込んだシズネは目を見張った。箱の中では翼を畳み、膝を抱えた青年が眠っていた。
「おい! お前、生きてるか?」
わざわざ引っ張り出す時間ももどかしく、箱が横に倒される。頭だけは床に当たらないようあらかじめ抱え、あとは引きずり出した。
直接触れると、その体にはぬくもりが宿っていた。
「眠っているだけ、か?」
呟きながらその視線が青年を観察する。背中の翼から天翼族の血を引いていることが推測でき、身なりは簡素な白いローブ。神官が身につけるものによく似ている。そして、手には白い封筒。
シズネは両手で抱えられた封筒をそっと抜き取る。宛名も書かれていないが中には何か入っているようで、紙の擦れる音がする。
中身をそっと引き出す。二枚の便箋が入っている。そちらの文章には宛名があった。
『シズネへ』と。
神官長代理は慌てて内容を読み進める。乱れた筆跡はかなり急いで書いているように見えた。
『シズネへ
無沙汰の上、いきなりこんなことをして驚いたでしょう。私には、もう、あなたしか頼れる人がいなかったの。
ディアスロンドはあなたが離れて、いいえ、離れる前から内部では酷かった。けれどトップが変わってから更にそれは酷くなった。
権力に固執した老人たちはどうしても神の声を聞くまだ若い女が自分達より上にいるということが許せないみたい。結果、神界への使者を創り上げるという歪んだ行為に繋がってしまった。
本当は昔言ったように内部からこの腐った体制を変えたかった。でも、私には子供も同然の無垢な命を実験に使うのも政治道具にするのも耐えられない。
きっとディアスロンドから完全に離すのが正しい。けれど、生まれも育ちもここの私では他に伝手がなかった。
あなたがこれを読んでいるころ、私は無事ではないでしょう。命はわからないけれど、少なくとも連絡は取れないと思う。だから、お願い。ルファエルを、できれば彼ら『天使』を助けて。ディアスロンドの呪縛から解放してあげて。
オリビア・メルヴィング』
「……あの馬鹿っ!」
一枚目を読み終えて、シズネの口から怒りの声が漏れた。
「危険ならお前ごと来いってんだ……!」
難しいことも彼には分っている。それでも、オリビアの命を守るにはそれしかなかった。けれど、彼女はそれを選ばなかった。少しでも時間を稼いでルファエルを逃がすために。
頭を振って怒りを振り切ると、シズネは二枚目にも目を通す。
それは『天使』についての情報で、彼らがどんな存在なのかが書かれていた。神の子である人間や光の時代からいる霊獣や精霊、竜など様々な因子を混ぜて作られたいわば人型の合成獣。共通して神聖魔法を発動できる能力と背に翼を持ち、他の因子の発現は個体差がある。その中でも能力が高い『天使』は『大天使』として名前を与えられ、彼ら独自のテレパシーにも似た情報網の中心になっている。そして、最後にアンダーラインで強調されている一文。
「『神の御使いとして思考、信仰を刷り込まれている。自分が神の御使いではない、もしくは相応しくないという思考に至った場合、自壊する。』か、あいつらのやりそうなことだ」
つまりは創造主の思惑を外れた場合は勝手に滅びるよう、製作段階から織り込まれているということだ。
シズネは床で眠ったままの『天使』を見やる。ほとんど人と変わらない姿をした彼には、道具としてしか生きられない雁字搦めの戒めがかかっているのだ。
彼は暫く、顎に手を当てて思考を巡らせた。そして、何かを決めたように名前を呼んだ。
「……えーっと、あー。ルファエル?」
すると、今まで眠り続けていた気配もなく、ぱちりと青い瞳が金髪の間から見えた。ふわりと翼を使って浮かび上がると、じっと自らの名を呼んだ人物へ目を合わせる。
「お前さんがルファエル、でいいんだよな?」
シズネが確認の問いを発すると、こくり、と頭が縦に揺れた。
「俺はシズネ。えーっと、オリビアから、お前の事を頼まれたんだ。よろしくな」
彼は右手を差し出すが、向かい合う『天使』は再び頷くだけだった。
「あー。握手もわかんないか?」
「言葉、知ってる」
見た目とほぼ変わらない年頃の声が、シズネの前で初めて言葉を紡ぐ。
「行為は、よく、わからない」
「そうか」
返しながら、彼は思い出した。『天使』のコミュニケーション手段はテレパシーにも似たネットワークと書かれていた。いわゆる直接触れる類のコミュニケーションは必要なかったのだろう。
「じゃ、慣れとけ」
シズネはルファエルの右手を取ると、その手を握り、上下に振った。
「お前さんには、これから人と共に暮らしてもらう。神の子を導く立場なら、思考や行動について知らないと困るだろ?」
「神の子、主の下、従い、魔と戦う」
ルファエルは間髪入れずに返答した。刷り込まれている神に関する知識の通りを。
「知識としてはそうだな。でも直接戦いにかかわっている人ってのは少ないもんだ。他のは例えばサポート的な立場にいたり、争うことに疲れて戦いをやめたり、どうしようもない理由で魔に味方してたりする」
わかるか、とシズネは問いかける。『天使』は、納得はしていないと表情で訴えながらもひとつ頷いた。
「神の子もそれぞれ違うってことだ。だから、違いや対処を学ぶんだ。そして、必要ならお前が神の代わりに正しい方向へ導いてやれ」
今度の問いに返ったのは真剣な表情の頷きだった。
「よし。じゃあ、しばらくの間はここにいろ。よろしくな」
ルファエルはもう一度頷きかけて、
「よろしく、お願い、します」
言葉で返した。
オリビアが願った通りに。
Fin.