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2010.6.8   【零】

Novel stage / Fun Fiction:LοV

《春の零度》


 


 

 吹雪によって閉ざされていた円形の雪原の上には、赤い軌跡が幾筋も刻まれていた。
「寒い中、待たせてごめんねー」
 呆然と見つめる観客へ場違いなほど明るい笑みを浮かべて人間のロードは雪上の闘技場から降りた。
 手に持った片手斧だけでなく全身が朱に染まっているのは、頭から返り血を浴びたせいだろうか。
「ルヴニール、怪我は」
 最も近くにいたフィーギーナが赤く染まった主へと尋ねる。案ずる、というよりは確認しているようだ。
「ん。前が見えにくいほうがちょっと困るかな」
 青年は額についた血を拭いながら答える。そして、背を向けたまま猿田彦へと声をかけた。
「これであなたの思い通りになったのかな、神様とやら」
 行者姿の神族は吹雪が止み、ルヴニールが出てきたのと同時に、トリトンと共にわだつみの元へと駆け寄っていた。
 赤の次に多く地面に広がる、横たわった竜の紺青の鱗。その巨大な肢体は半ば千切れかけ、無事な部分が少ないほどに切り裂かれている。
 猿田彦は古き友人の側へ膝を突く。
「ふふ……主の、目は、まちがって……おらなんだ……」
 強き力を持つわだつみはこれほどのダメージを受けていてもまだ微かに命の灯を残していた。少なくとも、あと僅か話す程度の時間は。
「これで、そなたの絶望も終わる」
「ああ……まさか、人の子に、止められる、とは、な……」
 白い瞳が次第に輝きを失っていく。だが、もう戦いの前にあった自暴自棄にも似た絶望は残っていない。古き友がもたらした僅かな希望が晴らした。
 満足と安堵。青年とはまた違う場違いな表情があった。
 そして、僅かに首を巡らすと戦った人間のロードへ目を止める。
 彼は既に帰りを待っていた仲間達によって囲まれていた。
「うー。上手く取れないー」
「少し濡らしてみてはいかがでしょう?」
「いっそ凍らせて剥がした方が早そうだぞ」
「ほっほっほ。そもそもそのままでは凍りつくのではないかの」
「冷静に言わないでください」
「……たしかに、さむいいいいぃぃぃ……」
『……気付かなければよかったものを』
 きぃきぃ鳴く小悪魔まで加わって、風音しかなかった雪原に新たなるざわめきが広がっていく。
 それは、冬眠から醒めた生物達がいっせいに目覚めた瞬間にも似ていた。
「……人の子よ」
 海神は残された力を振り絞るように呼びかけた。
 小悪魔を抱えて震えていた青年が振り返る。
「……礼を、言う……この地を、解放してくれた、ことを……」
「うーん。解放したというかほぼ巻き込まれたというかー」
 苦笑して返すルヴニールに、苦しそうな笑い声が返った。
「それでも、勝利者は……主だ……手間を、かけた……」
「まあびっくりしたけど、あなたのためだけにやったことじゃないしー」
「魔都へ、向かうか…………気を、つけよ。女王は、そなたの、心の……闇を、ついてくる……」
 ごぼり、と大きな赤い塊を吐き出し、ほとんど見えてない白の瞳を紅の瞳へ合わせる。
「忘れたい、過去……望まぬ、未来……だが、揺らぐことは、そなたの……死を、意味する……」
「ん……わかった。気をつけるねー」
 こくり、と頷く青年。
 次の瞬間、僅かに浮いた頭部が再び地面へと落ちる。トリトンが支えにと差し出した腕へとじわりじわり零れ落ちる赤い命の欠片。
「これで……そなたらも、手を汚す、ことは……ない……今まで、苦労を、かけた……」
「我らは我らの意志であなたに従ったまで。悔いはありません」
 答える間にも、猿田彦が僅かな時しか変わらないとわかっていて、その白い袖を濡らして出血を抑えようとする。
「古き……友よ…………すまぬ、な……」
「何、我こそ我が手でそなたを救えなんだ体たらく。友である甲斐がないではないか」
 返された幾つもの答え。わだつみは微かに、だが満足そうに頷いた。
 白い瞳が紺青に覆われ、隠れる。
「……ゆっくり、安め」
 神の見送りの言葉と共に、横たわる巨体が次第に白い光の粒子へと変わる。雪のように輝く小さな光は強く、儚く、ほんの数瞬で空へと消えていった。
 そして、その使い魔たる巻貝を負う戦士もまた光の粒へと変わっていく。
「……ありがとうございました」
 行者姿の神と人間のロード達。両方に一礼した後、トリトンは高らかに貝を掲げ、音を響かせる。
 それは戦闘時、味方を鼓舞する音。突撃の合図をかける号令。激励の響き。
 彼が消え去っても、暫くの間、余韻が白き闘技場跡に流れ続けた。

 吹雪は止み、地を負の連鎖に留めるものはなくなった。
 やがて、負は零になり、零は正へ。
 大地をあるべき姿へと戻す……。


 To be continued...


 

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