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2010.6.18 【塩】
Novel stage / original:Willwart
《海》
「ねぇ、ギルくん。うみってなぁに?」
白翼族の少女がエメラルドの瞳を好奇心に輝かせて、隣に座っている黒翼族の青年へと尋ねる。
「うみ?」
「レスターおにいさんはあおくてきれいだって。でもおそらとどうちがうの?」
「ああ、海か」
ここは空中都市ウィルワート。雲の海原はあっても、実際の海はない。どこまでも青い空間は空以外に存在しないのだ。
ギルフォードは兄の書斎にあった本の挿絵を思い出す。何故か彼の書斎には地上に関する膨大な数の書籍が収められているのだ。
「伝聞だが……空よりももっと青く、藍色に近い。見渡す限り、深い底まで塩水が広がっているらしい」
「しおみず?」
「かなりしょっぱいということだ」
パールは首を傾げた。
塩の抽出方法は大量にあるが、その源は全て海。海のない天上においては精製方法がないに等しい。その中で塩味を理解するのは確かに難しいことだった。
「なんでしょっぱいの?」
「わからない。解明されていないんだ」
問い続ける少女に、青年は首を横に振った。しかし、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだな……御伽噺くらいなら」
「どんなの?」
身体を乗り出しすぎて雲から落ちそうになる少女を押し留めて、青年はゆっくりと記憶の糸を辿る。
「昔、この世界が出来た時、海とは水が湛えられているだけ。地上に生息する生物達を文字通り潤す存在だったそうだ。ただ海中にも生物がいたため、地上と海中はそれぞれ必要なものを提供しあう同盟関係にあった。仲は非常によく、絆によって結ばれる者もいたらしい。大地の統治者の息子と海の統治者の娘も正にそうだった」
ギルフォードは真っ直ぐに彼を見上げる緑玉の輝きを眩しく思いながら、言葉を継ぐ。
「ところがある時、地上を統べる者が欲を出した。大地だけではなく海も欲しくなった王は、海中の民へ宣戦布告。恋仲だった二人は離されてしまった」
「ひどい……」
「それだけじゃない。大地の息子は父親の命によって、先頭に立って海へ侵略しなければいけなかった。大切な恋人のいる海へ。けれど、彼にはそれが出来なかった」
悲しそうな表情のパールの頭を撫でて落ち着かせながら、青年は最後まで話し続ける。
「二人は他の者達の目を盗んで、月が真円を描く夜にこっそり落ち合う。そして、海の娘が持ってきた毒薬を葡萄酒に混ぜると、乾杯して飲み干した。翌朝、浜辺に倒れこんだ二人を通りがかった者が発見、報告した」
「死んじゃった、の?」
「大地の息子は死んでしまった。けれど、何と言う采配か、海の娘は生き残った。娘は共に行けなかった事を嘆いていた。やがて戦いを始めた大地を、原因になった海を、愛しいものを殺した自分を、全てを拒絶して、ただ泣き続けた。その涙が水に溶けて、まるで全てを拒絶するような塩分を持つに至ったという」
ぎゅっとギルフォードの腕にしがみついて来る少女。
「かわいそう」
その頬は涙で濡れていた。
「ひとりぼっちっておもいこみつづけてしんじゃうなんて、かわいそう」
「……そうだな」
「パールがいたら、ぜったい、ぜったい、そばにいてあげるのに」
少女は誰も責めることなく、ただ海の娘のことだけを思って泣いた。
「パールは、優しいな」
泣いて泣いて、涙でくしゃくしゃになった愛らしい少女の顔。
それはとても愛おしく、強く、脆く。
青年にとって大切なものだった。
「……ギルくんだったら、どうする?」
パールがぽつり、と呟いた。
「そうだな……まずは戦いをやめるよう説得して、それが駄目なら」
「だめなら?」
恐る恐る顔を上げた少女の顔をぬぐってやってから、彼は手を差し出した。
「一緒に行くな。戦いのない場所へ。一緒にいられることが、何よりも大事だ」
それは正しいこととは限らない。多くの人の命運を投げていると宣言しているようなものだ。
けれど、少女にとっては。
「……うん! パールも、いく!」
涙を止められるほどの答えであった。
Fine.