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2010.4.20 【電】
Novel stage / original:Abyss of Time
《なくならないもの》
じりりりりりーんと、紫さんの研究室の電話が鳴った。携帯電話の着信音ではなく本当の古い黒電話が。
「皐月だ」
手を伸ばして取った紫さんは、右手でキーボード入力をしながら左手で受話器を押さえる。
「ああ、資材はいつも通りでいい。新物がないし特に新規注文もない」
危ういバランスを保っている光景を、カードゲームをしていた僕と心さんが見ていた。心さんはとても不思議そうだ。
「紫さん、新しい物好きな割にあの電話だけは変えないのよね」
「五十年は前の電話ですね」
「そう。紫さんが生まれる前、下手したらご両親も生まれてないんじゃないかってくらいの年代物よ」
ぱさり、と手札をテーブルの上に広げて心さんは手を自分の膝の上に置く。
「私がここに来たのはほんの二、三年前だけど、その時点でもうあったわ」
紫さんにとってよく使う電子機器はほぼ消耗品に近い。コンピュータなどは下手をすれば一年で交換となる。
ましてや紫さんは携帯電話を使いたがらない。本当の身内の人間しか番号を知らないため、必然的に直接話そうと思えばあの電話を使うことになる。
「こまめに修理や点検もなさっているようです」
「そんなに愛着があるのかしら」
「気になるか、すずな」
いつの間にか電話を終えた紫さんがコンピュータの前から離れて僕の隣に座っている。
手にはカフェオレの入った紙コップもあり、休憩するつもりのようだ。
「ちょっと紫さん、あの書類提出まであと」
「あれはな、私の母方の祖父母の家にあった物なんだ」
心さんが立ち上がってまで突っ込むが、紫さんは平然と話し始めた。
「私が四、五歳の頃は両親がいろいろなものを習わせようとしてたピークでな。毎日のように習字だの英語だのバイオリンだの違うことをやらされていたわけだ」
身振りをつけて紫さんは呆れた、という表情をした。現在紫さんがいろいろなことをこなすのはその頃の賜物なのだろうか。
「幼心にはきつくてな。ろくに遊ぶことも出来ないから友達も出来ないわけだ」
「ああ、それでこんな性格に」
「なんか言ったか心」
「いいえ、なんでもありません」
大仰に嘆くジェスチャーに諦めて座った心さんが呟く。聞き咎めた紫さんが横目で睨むも素知らぬ顔をしてカフェオレをコップへ継ぎ足した。
「父方の祖父母は似たような考えでやっぱり勉強ばかりだったが、母方の祖父母は違ってな。子供の時はせいぜい遊んでおいた方がいい、と泊まりに行くと遊んでくれたりのんびりさせてくれた」
半分ほど怒りながら紫さんは話を続けるが、そのうちに懐かしくなったのか段々穏やかな表情になっていった。
「私にとって唯一の息抜きの場所だった。けど、五年くらい前に二人とも事故で亡くなってね。ちょうど私もこっちへ引っ越すタイミングだったから、あれをもらったのさ」
家は流石に遠すぎてね、と紫さんは肩をすくめた。怒っていたはずの心さんも悲しそうな表情で真面目に聞いている。
「だから、私にとってあれは大切なのさ。私が真面目一辺倒のつまらない人間にならずにすんだのは、息抜きがどれだけ大切か教えてくれた祖父母のおかげだからな」
「思い出の品、ですか」
「そういうことだ」
よしよしと僕の頭を撫でる紫さん。
「お前の疑問は解決したか?」
「はい」
僕は頷くと、紫さんは立ち上がって部屋の扉へと歩いていった。
「じゃ、ちょっと散歩に行ってくる。なんか感傷的になったしな。土産は考えとく」
「気をつけてください」
「いってらっしゃ・・・って駄目ですよ紫さん! 書類の期限迫ってるんですから!」
心さんが叫んだときにはもうその姿は見えない。紫さんが、気付かれるのと同時にダッシュで部屋の外に出ていたから。
「・・・ひょっとして今の話。逃げたい為の嘘じゃないでしょうね」
がっくりと肩を落として疲れたように言う心さん。
僕は新しく出してきた紙コップへカフェオレを注いで、その目の前に出した。
Fine.