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2010.8.9   【馬】

Novel stage / original:Absoetia

《馬神の午後》


 



 

 アブソエティア国、郊外の高原にて。
「だ、だから無理だって言ったでしょう!?」
「……学校の頃は、乗っていなかったか?」
 二人の人影と、二頭の馬。
 一人が見事に馬を走らせ自然の障害まで越えているのに対し、もう一人は乗るのがせいぜい、といった風情だ。
 あまりに危なっかしいキルシェに、ラートは一度馬から降りて彼の側に立った。
 決して気性の荒い馬ではないのだが、なにせたずながあちらこちらに引っ張られるので安定しないのだ。
 現に、
「覚えていませんよ!そんな昔の……っ!!」
「……っと」
ラートに気を取られた弾みに蹴られでもしたのか、馬がキルシェを振り落とした。
 その軽い体は地面に叩きつけられる直前、滑り込んだ腕に支えられる。
「大丈夫か」
「……ええ、なんとかね」
 今更になってこんなことをしているのには訳がある。

 それは数日前のこと。
「なぁラート。また今度遠乗りに行かないか?」
 この国の第一王子であり護衛対象でもあるテルマはそう言った。
「王子の予定がなければ構いませんが」
 そうラートが返すと、いたずらっ子のような笑みで彼は提案した。
「で、さ。今度はキルシェも一緒じゃ駄目?」
 何度か遠乗りに行く際に誘ってはいるのだが、アルビノの青年は全て微笑みながら却下している。
 さすがに彼が病弱なことを知っている人間としては、強くは誘えなかった。
 しかし、王子としてはそれが面白くないわけで。
「いつも他の事は何かしら理由つけてくるくせに、こういうときだけいないしな。たまにはこっちに付き合ってもらいたいんだよ」
 つまり、普段教育係も兼ねている青年に一泡吹かせたい、というわけだ。なにしろ体力がないだけで、知力も体術も身につけている彼に、勝つ機会はそうそうない。
 テルマの忠実な騎士は僅かな思考の後、こう、答えた。
「行くことには問題ありません。しかし、行くかどうかは本人を説得なさってください」
「わかった。それは僕が頑張ってみるさ」
 王子は一つウインクをして、にやりと笑った。

「どういう風の吹き回しでしょう。今回に限って供を命じるとは」
 そう、王子から「護衛を命ずる」と言われれば、臣下たる彼は従わざるを得ない。もっとも普段そういった強制を嫌うテルマは、めったに命令を下すことはないのだが。
「……直接伺ってはどうだ」
「それがおっしゃってくださらないのですよ」
 キルシェは肩をすくめた。そして、ひらりと体重を感じさせない軽やかさで、馬の背に跨る。
「けれどもう覆してくださらないでしょう。やれるだけやってみますよ」
 そう言って、ゆっくりと馬を歩かせ始めた。大して早くはないのだが、上体が揺れていることから安定してないことがわかる。
 ラートは彼に気付かれないよう、そっと溜息を一つついて、自らも馬を走らせた。
 ――三時間後。
 元々の運動神経が良いせいか、キルシェは競技などに出場するのは無理だが、趣味とするには十分早いスピードを出せるようになっていた。
 あまり複雑なことは出来ないが、遠乗りには十分だった。
「そろそろ休んではどうだ」
 少し離れていたラートが声をかける。しかし、答えは小さく振られた頭だった。
「もう少し、乗っていきます。忘れては困りますからね」
「……体に障らない程度にな」
「わかっていますよ」
 キルシェは薄く笑って、軽く草原の向こう側へ走り去っていった。
 その後姿を肩を竦めつつ見送ったラートは、木陰に座った。少し汗のかいた体に微風は心地よい。
 雲が翔るように流れていく。
 目を閉じて風を感じながら、木へ凭れ掛かっていたその時。
 遠くから馬の嘶きが聞こえた。
「……何だ?」
 立ち上がると、徐々に蹄が大地を蹴る音が近づいてくる。
 こちらに向かって走ってくるのは葦毛の鞍のついた馬。先程まで白い青年を乗せていたものに違いない。
 だが、鞍の上に人はいなかった。
 馬はラートの前まで来ると止まった。蹄の音が消えると、大気を震わせて届くのは風の流れる音……微かな鋼の擦れ合う音と、風を切る音。
 よく見ると、鞍には鋭いものが掠めた跡がある。
 それが意味するものを悟ると、ラートはさっと鞍上の人となり、駆けてきた方向へと馬首をめぐらせた。

 高原と山の境目、障害物も何もなくただ広がっている大地。
 ラートがそこへ近付いていくと、風を切る音がより鮮明に聞こえた。
 馬に乗った黒衣の男が2人。弓をつがえたものと、剣を構えたもの。そして白く長い髪の青年が、間に挟まれそうになるのを懸命に逃げている。
 弓使いたちの腕よりも青年の体術の方が優れている。しかし慣れない乗馬による疲労と得意の獲物を使うための障害物がないことが優位を覆しかけている。
「キルシェ!」
 襲われている以上、彼らは青年のことを知っていると踏んで遠慮なく呼びかける。
 黒衣の男たちが一瞬ラートの方へ意識を取られた。
 そして、均衡が崩れた。
 キルシェが一気に宙へ飛びあがる。すると黒衣の男たちが馬ごと互いに引き寄せられていく。彼が巻き付けていた鋼線によって。
 天に舞った青年の足元で、ばごんっとぶつかり合う音が響いた。細い糸によって、人も馬もきりきりと締め上げられ、堪らず横倒しになる。
 苦しげな馬の嘶き。
 だが、それによって青年は着地する平地がなくなった。
 重力に引かれて下りていく体。
 しかし下降は途中で止まった。馬に乗って越えざまに、横から彼を掬い上げたのはラート。
「相変わらず無茶なことをする」
「普段ほどはしていませんよ?」
 鋼線の端を持ったキルシェは、疲労の色を露わにしつつもふっと笑って見せた。

 襲ってきた者たちを縛り上げ、都市の詰め所に突き出した。そして高原へ戻ってきた二人は、休憩ということで側の木に馬を繋ぎ木陰で休んでいた。
 春ののどかな風が心地よく過ぎていく。
「……別に、付き合う必要はなかったのですよ」
 ぽつりと、キルシェは呟いた。
 ラートは彼の方へ目線を向けるが、相手の長い銀髪が風に遊ばれて、表情が影に隠れている。
「せっかくの休日です。私などのために全部使う必要はありません」
 そう。最初、キルシェは一人で練習しようとしていた。しかし、彼が街から出る所で気付いたラートが指導役を申し出たのだ。
「……俺はいたいから、ここにいる」
「……物好きなことで」
 呆れたように溜息をつくのがわかる。
 だがラートは知っている。これは、彼なりの照れ隠しなのだと。
 そう考えると、なんとなく笑みがこみ上げてきた。この不器用な友人に。
「……まだ、やっていくつもりなのか?」
「どうしましょうね……」
「悩んでいるなら、やめておいた方がいい。消耗は激しいだろう」
「……そうします」
 肩をすくめて、キルシェは頷いた。
「戻りはしますが、もう少し休ませてください……」
 ゆっくりと流れる風に耳を澄ませるように。
 樹に背を預け、力を抜いて目を閉じているその姿は、自然と一体化したように違和感を与えない。
 彼もまた世界の“理”であるというように。
(……世界に存在する“理”を読み、操る“理師”か……)
「……キルシェ?」
 あまりにも静かなので声をかけると、彼はすでに小さな寝息を立てていた。
「おやすみ」
 ラートはふっと笑って、同じように樹に背を預けた。
 二人の青年を、春の風はゆっくりと包んでいる。


 Fine.


 

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