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2010.8.12 【遠】
Novel stage / Fun Fiction:QMADS
《遠くにありて思ふモノ》
ちゃぽん。
縁の高いトレイに薄く張られた水へ銀色の鏡が落とされる。
真円が暗闇を切り裂く月の光を跳ね返し、柔らかな光が磨かれた表面で静かに輝いている。
「夜毎姿を変える女神の顔……」
少年の指先が水面で鏡の形をなぞる。
更に円の内側を細かく指先の複雑な動きが魔法円を形成していく。
ちりちりと小さな輝きが鏡の上に集まり始めた。
「重なり合う次元の狭間に、異なる位相を重ねあわせよ……」
トレイに映っていた茶色の髪、紫の瞳の幼い術者の像が風もないのに歪む。細やかな銀色の輝きが歪みの中に溶け込んで揺れる水面自体が光を放つ。
水に指を触れされながら、少年はそっと呟いた。
「……繋いで。僕が会いたい人の所へ」
何故か、ほんのり頬を赤く染めて紡がれた言葉に、輝きの渦がぼんやりと光を形に変えていく。
淡い黄を帯びた光が次第に指先が描いた円の上に集まり、中央に少年でも夜空でもない光景が映った。
ここではないどこか。
空が明るくなりはじめ、ぼんやりと大地を温もりで包み始めている。山間の小さな村では鶏が高らかに鳴き、人々の一日が始まろうとしていた。
揺れる水面は更に姿を変えて、村の一つの家を大きく映す。
立派ではないが他の家よりは一回り大きい。主人と思われる中年夫婦が出てくると光を浴びてにっこりと笑った。
少し遅れて更に二人。
共に黒髪の十代後半と思われる少年少女。もし夫婦に子供がいたとしたら丁度いい年齢だろう。けれど、明らかに雰囲気が違った。
強い意志を秘めた二対の瞳は遠く、遠くにあるまだ見ぬ目標へと向かっていた。
どこか大人びた雰囲気の彼女らはやはり光を浴びると、丁寧に夫婦へ挨拶する。
柔らかい表情は借りた一夜の宿が決して居心地の悪いものではなかったことを示すようだ。
「……ライラさん」
微笑む少女が鏡いっぱいに映る。しっかりした表情には一点の陰りもなく、時折質問を交えながら楽しそうに宿の主人の仕事を手伝っている。
「……ニカくん」
今度は少女の作業を邪魔しないよう立つ少年の姿が映る。朝日が眩しいのか軽く手を翳して遮っている。
作業を続ける主人とライラへ向かって妻の方が何やら言った。
反応できなかった少女が虚を疲れたような表情をし、主人は即座に何かを言い返した。妻が再び一言二言返すと、今度はぎょっとした様にクロニカが作業の手を止めた二人をまじまじと見つめた。
慌てて応えるライラ。しかし、段々言葉の勢いが小さくなっていき。
ついには四人揃って笑い出した。
まるで本当の親子のように幸せそうな風景。
「よかった。元気そう、で」
ぽたん。
水面に雫が落ちる。すると集まっていた光はあっという間に再び粒子となって月の光の中へと還っていった。
「あ、れ」
ぽたっ。ぽたたっ。
既に水鏡の魔法は溶けて、ただ水に沈んだ鏡となった上へ更に雫は滴り続ける。
紫水晶の瞳から零れる、雫が。
「おかしい、な。嬉しいはず、なのに……」
少年は本当に嬉しく思っていた。授業で習った魔法を試せた上、ずっと気にかかっていた二人の姿を見ることも出来た。
ましてや、元気に笑っている姿だ。
「嬉しいから、なのかな……」
言い聞かせるように呟いて一つ頷き、微笑んでみる。月明かりに照らされた水面に、涙の跡は残るが笑う少年の顔が映った。
後は使った道具を片付けて、明日の授業に遅れないよう寝るだけ。
するべきことを確認して少年は動き出す。自分の中で感じた嬉涙とは違う違和感を、源となるもっと奥底の感情を全て見ない振りをして。
「今度はちゃんと会おうね!」
全てを心の中にしまうための言葉を聞いたのは、真円を描く夜毎姿を変える月の女神だけ。
Fine.