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2010.8.31 【紫】
Novel stage / original:Abyss of Time
《天才》
皐月紫は幼いときから天才だった。
八歳の時に小学校の知識を全て会得していた。
十二歳では既に大学院で研究員に混じって人造人間の研究を進めていた。
そして十五歳で彼女はオリジナルの方式で今までとは異なる人造人間を作り上げ、錬金術師としての名を一層轟かせた。
「さて。次のコードは……こっちかな」
私は右手にコーヒーのカップを持ちながら左手でコンピュータのキーボードを叩いていく。片手だけで扱えるキーボードではなく普通のキーボードだが、まったく違和感なくかしゃかしゃと打ち込んでいく。スピードは普通の人が両手で打ち込むのとほとんど差がない。
研究をするようになって五年程。この体勢をとることが多くなった為、もう慣れてしまった。
もっとも、こうしていると。
「紫さん」
半眼で睨んでくる女性型の人造人間。『久遠の薔薇』で研究を始めたときから研究室にいる私の助手兼被保護者の都川心だ。
「飲みながら仕事しないで休んでください。昨日も徹夜だったんでしょう?」
「きりのいいところまで行ったら休むよ」
「そう言って二日経っているんですけど」
心は溜息をついて、それでも私の邪魔はしなかった。
もっとも彼女は私が作ったわけではない。正確には『久遠の薔薇』で預かっている扱いなのだが、彼女のブラックボックスを解明するチームの中心が私であるために、ここにいる。
「紫さんは本当に研究熱心ですよね」
ぼやく後姿へ私は即座に反応した。
「当たり前だろう」
心が振り返る。不思議そうに見返してくる視線へ私は当然のことを返す。
「天才の私が研究せずに誰が謎を解明するんだ。子供には子供の、大人には大人の役割があるように天才には天才の役割がある」
にやりと笑って言うと、彼女はぽかんと口を開ける。
「……はい?」
「人が違うのは役割の差ということさ」
右手に持っていたカップをあおる。温くなっていたコーヒーは程よく乾いていた喉を潤してくれた。
私は立ち上がると空になった器を心に押し付ける。代わりに開いた右手で棚からプログラミングの本を二冊抜いて席に戻る。
「これでも一時期はまともに憧れた事もあるのだよ。『普通の女の子』というものにな」
とりあえず読む方を残してもう一冊を机の上に落とす。白衣を挟まないように座ると必要ページを右手の指だけを使って開いた。
文字の羅列を追いながら、未だにこちらを向いている心へと答える。
「おしゃれや恋というものも興味がなかったわけじゃない。だが、私にとっては謎を解明する方が楽しかった」
必要ページをクリップで留め、もう一冊の方も右手だけで開く。記述を比較しながら左手はキーボードでソースを打ち込んでいった。
「だとすれは私の役割はここにあるのだろう。私自身が楽しんでるのだからまったく問題はないがな」
「そう、なんでしょうか」
「そうだ。大げさな言い方をすれば運命が私にこの道を示し、私は乗ることを選んだ。そして自分の選んだ道を突き進むために私は研究を続けるというわけだ」
エンターを二回。セーブ。これで一区切りがついた。
「つまらない話をしたな。休むよ、心」
コンピュータをスリープして、大きく伸びをした。流石に連日ディスプレイに向かっていると目や腰が痛くなるというものだ。
「あ、はい。部屋はさっき整えてもらいました」
カップを手に呆然としていた心が慌てて隣室の扉を開く。
「ん。ありがとうな」
歩きながら、まだどこかぼんやりとしている心へ私は声をかけた。
「お前もそのうちやりたいこと、やるべきことが見えてくるさ。だから焦るな」
「紫さん……」
「それじゃ、お休み」
ウインクひとつ。扉を閉めて白衣を脱いだところで扉の向こうから声が聞こえた。
「……お休みなさい。紫さん」
Fine.