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2010.7.28   【林】

Novel stage / original:Abyss of Time ~ After the Nightmare ~

《カクテルグラス》


 


 

 俺が紫さんに出会ったのは、巡査部長として警視庁に勤務して二年目のことだった。
 大した手柄も立てていないのに、新設された特殊捜査課へ異動になって数ヶ月。その理由が俺の受け継いだ能力にあることは最初の一ヶ月で思い知らされた。
 通常の刑事事件として処理できないイレイサー関連の事件。
 特殊捜査課へ集められた警察官は全てイレイサーの、世界の真実に気付いている者しかいない。そして何れも対抗策を持つ者達だけだった。
 イレイサーにも通用する武器の使い手。
 詳しくは解明されていないが超能力にも似た能力をもつ者。
 そして、俺のような友好的なイレイサーと手を結ぶ者。
 そう、この特殊捜査課は対イレイサー用の捜査班。犯人を捕まえることは元より、こちらの世界へ出てきたイレイサーを消滅させるのが仕事だ。
 確かに力が役に立つのならそれでいい。だが、それがこんな形で現れるとは思わなかった。
 そして、新しく配置される対イレイサー用の兵器。
(人造人間、か……)
 知識としてしか知らない者が配置される、それも人間と変わりない人間でないものが。喜びというよりは戸惑い。
 そんなことを思いながら、俺はたまの非番に行きつけのバーに来ていた。スローテンポのジャズが流れる静かな店内で、頼んだアーリータイムズをカウンターで飲む。
 もやもやした感情とは違い、琥珀色の液体はすっきりと喉を通っていく。
(……使えるなら、なんでもいい……)
 割り切ろうと考える。
 その時だった。
「隣を失礼する。時雨和くんとは君かな」
 やや強引に女性が俺の隣に座った。年の頃は二十代半ば、俺とさほど変わらないくらいだろうか。シャープな輪郭に肩口よりやや長い髪、切れ長の目は凛々しく理知的な印象を与える。手に持ったダークブラウンのコートにオフホワイトのスーツが非常に場慣れた雰囲気を醸し出す。
「……俺は貴女の事を知りませんが」
「うむ。今が初対面だからな」
 にっと口の端を持ち上げると、近付いてきたバーテンダーにそっと耳打ちした。頭が白くなりつつある細身の男性は、一瞬目を見開いた後頷く。
「だが明日また会うことになる。それが待ちきれなくてな」
「明日、だと?」
 明日は新兵器が配属される日だ。だとすれば。
「……あれの関係者か」
「あれと言うな」
 少々気分を害したように唇を尖らせる。ぴしっとした雰囲気が仕草一つで可愛らしさを帯びた。
 もっとも彼女の場合、その小さな瑕疵が返って女性らしさを引き出している。
(なんというか、強引だけど不思議な人だな)
「ちゃんと名前があるんだ。とは言うものの、会ってもいないのに理解しろというのも無理な話だ」
 女性は自身で納得して頷きながら、直に表情を戻した。
「だから、こういうのはどうだ?」
「何が、ですか」
 にぃっと笑った女性へ俺はそのまま問い返した。本当は俺の予定を知っていたこと等を問い詰めるべきだったのだろうが、軽く酔っていたせいかその案にのってしまった。
「さっき、君に奢る分をバーテンダーに頼んでおいた。それが気に入ったらきちんと名前で呼ぶ、というのはどうだ?」
 片肘を突いた左手に自身の頭を乗せて、はす斜めの上目遣いが見上げてくる。ルージュが引かれた口の端は上がったままだ。
 その笑みへ俺は逆に宣言する。酔っていなければ絶対出来ないような言葉を。
「俺が勝ったら、朝まで付き合っていただけますか」
「ふ、ふふふっ……いいだろう。私を誘ったのは君が始めてだ」
 女性は心底楽しそうに笑った。そしてその手がバーテンダーへ合図を送る。
 バーテンダーは心得ているようで、すぐ俺の前へグラスを差し出した。
「照葉樹林というカクテルでございます」
 聞いた事のない名前と共に置かれたグラスの中は、底が深緑、表面が黄色の強い茶で綺麗なグラデーションを描いている。更に浮かぶ氷で透明度が増し、色合いが綺麗に出ていた。
「常緑の広葉樹で覆われた森林。その名に相応しいだろう」
「確かに、綺麗ですね」
 底の深緑などは特に森や林を容易に連想させる。
「では、いただきます」
「ああ」
 一言女性へ声をかけてから俺は口に含んだ。
 まず強烈な玉露の苦味が広がる。後に残らないすっきりとした苦味が酔った感覚を吹き飛ばす。
 そして苦味を和らげる優しい甘みが味覚を包んだ。
 まさに抹茶を飲んでいるような、冷たく爽やかな気分にさせてくれる。
「これ、アルコールなんですか?」
「グリーンティー・リキュールと烏龍茶、れっきとしたカクテルだ」
 さあどうだ、と言わんばかりの女性。
 聞いた事のない名前の、確かに苦味が強いものが嗜好に合う俺の好みからも外れていない。
「……俺の負けですよ」
 俺は素直に白旗を揚げた。
「ただ、俺からも一杯くらい奢らせてください」
「まあ、そのくらいは君の顔を立ててやるか。約束は守れよ?」
 女性は小さくガッツポーズして、バックバーを期待に満ちた目で見ていた。俺を負かせたことが嬉しかったのか、賭けをしている時よりも楽しそうに見える。
 少しその様子につられそうになりながら、俺はバーテンダーを呼び寄せた。
「染井吉野をこちらへ」
「かしこまりました」
 好奇心に目を輝かせている女性の前へおかれたのは、細長いグラスに入った淡いピンク色のカクテル。
「ほう。これは綺麗だ」
「桜をイメージして作られたカクテルですから。名前も染井吉野、桜の名前です」
「これは上手く返されたかな」
 口ではそう言いながらも女性は嬉しそうにまずその色合いから楽しんでいる。
 どうやら気に入ってもらえたようだ。
「……味も悪くない。なかなかいい返礼だ」
 彼女は再びにぃ、と笑みを浮かべる。どうやら彼女の笑い方のくせらしい。
「困ったな。賭けとは別に朝まで付き合ってもいい気分だ」
「俺は構いませんけどね」
「私もそうしたいところだが、やってしまうと後が怖いからな。これで失礼させてもらうよ」
 アルコールに顔を赤らめることなく、女性は席を立った。
「何、まだ長い付き合いになりそうだ。また機会もあるさ」
「そう願いますよ」
 俺はグラスを傾けながらふっと笑った。
「必要なら作るまでだ」
 赤いルージュをはいた唇が軽く俺の頬に触れた。柔らかい唇の感触がすっきりした脳裏に焼きつく。
 不覚にも俺はただ呆然と彼女の後姿を見送るしかなかった。


 Fine.

 

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