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2010.4.13 【波】
Novel stage / original:Absoetia
《あこがれ》
本日の歴史の勉強時間となったキルシェは、教科書代わりの歴史書と注釈を書き込んだ紙の束を左手に抱えて王子の部屋へと入った。
そこに広がっているのは日当たりのいい、本棚と机が並ぶ王城の中では小さな部屋。のはずだった。
「失礼いたします。王子……って、何をなさっているのですか?」
部屋はどこまでも広がる青に包まれていた。
澄み渡った青い空と足下に広がる深く青い海。椰子の樹が生える白い砂浜に緩やかな波が押しては返す。
それはまるで南国リゾートのような様相を呈していた。
「あ、キルシェ」
場所を間違えたわけではないという証拠に肝心のテルマ王子は砂浜の上でにこにこ笑って駆け回っている。もっともその足下から砂を踏んだり波が打ち寄せる音は聞こえない。
「綺麗だろう?」
そう言って振り返る王子の側に立っているのは場にそぐわない鎧を着た護衛騎士のラートと宰相のレディス。
事情を察したキルシェはあらためて周囲を見回して溜息を一つつく。
「……宰相殿。そろそろ時間なので」
「ああ。すまない。それではテルマ王子、私はここで失礼します」
レディスが手を振ると一瞬にして周囲の風景が消える。
視界全てを覆っていた青は消え、白い壁と本棚、机。元の勉強部屋の光景へと戻ってきた。そう、先程までのリゾート風景はアブソエティアで最強の力を持つ理師でもある宰相のレディスが光を操って広げていたものだったのだ。
だからこそ音までは表現されなかった。
「ああ、ありがとうレディス。楽しかったよ」
テルマ王子は席に着き、キルシェもまた歴史の授業を始めた。
ラートは出入り口の扉の側に立ち、レディスがその横を通り過ぎようとして、一度振り返る。
視線は授業中の二人へ向けられていた。
「少しは、喜んでもらえたかな」
「王子は喜んでいらっしゃいましたよ」
騎士はそう答える。しかし、宰相は微妙な頷きを返す。目線の先にいるのは白の理師。
「……あの子も、きっと海を見たことはないと思って、ね」
アブソエティアは完全な内陸国。各地を旅していた経験のあるレディスはともかく、キルシェやラートを含めたほとんどの国民は海を見たことはないだろう。
ましてや、キルシェは日差しにほぼあたれない身だ。
しばしの沈黙の後、部屋から出て行こうと歩き出したレディスへラートは口を開いた。
「……キルシェも、わかっていますよ」
騎士は本心から呟いた。
キルシェが気付いていないはずがないのだ。レディスがあえて勉強時間ぎりぎりまであの理を発動し続けてきた理由を。
消耗の大きい理をあえて使い続けてでも、キルシェにも見せたかったのだ。あの青い海の光景を。波間に宿る輝きを。
「……そうだな。あの子は、賢いから」
「はい」
今度は悲しげに、だがしっかりした頷きを返したレディスは扉の向こうへと歩いていった。
Fine.