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2010.4.11 【放】
Novel stage / original:Abyss of Time
《休みの定義》
がたん、と椅子の背にもたれかかって、紫さんが放心したように天井を見上げた。
「おー……わっ、たー……」
研究室の大きな木製の机にばったりと突っ伏した。適当に見えてきっちりキーボードなどのパソコン周辺機器は避けている。
僕は給湯室で温めたミルクとフィナンシェやマドレーヌを載せた皿をお盆に載せると、サイドテーブルへと運ぶ。
「お疲れ様でした」
「お。ありがとう、すずな」
紫さんは起き上がると、片手でパソコンにCD-Rを差し込むと書き上げた論文を保存する。そしてもう片方の手をコップへ伸ばした。
「流石に五時間ぶっ通しは疲れたが、今回はほとんど実験データだしな。まだ楽な方だった」
ふーっと息を吹きかけてミルクを冷ましている。コンピュータを弄っている方の手は、のんびりしている様子とは正反対にてきぱきと動いて保存したCDを取り出すとケースに収める。
「でも、これで一息ついた」
コップを置いて、ケースの表題をさらさらと書き上げる。
「すずな、放っておいてごめんな。これでまた構ってやれるぞ」
「ありがとうございます、紫さん」
紫さんは僕に笑いかける。しかし、その笑みがすぐに凍りつく。
振り返ると自動ドアから環さんと心さんが入ってきていた。心さんは手に旅行鞄を持っている。
「紫さん」
環さんが無表情で紫さんへ呼びかける。
「よ、よぅ、環。論文はここにあるから持っていけ」
「ありがとうございます。今回は締め切り間に合いましたね」
紫さんが焦りながら環さんへCDを渡す。
丁重に受け取る環さんはやはり表情を変えることはなく、そのまま言葉を繋げた。
「それからそろそろ出発してもらわないと、間に合いませんよ。学会」
「チケットはもう取ってありますから、はいどうぞ」
心さんが応えるように荷物を差し出した。
慌てて下がった紫さんが僕の後ろに回りこむ。
「ちょっと待て! 私は2ヶ月の連続勤務だぞ? いい加減休ませろ!」
そして僕の後ろから抗議の声を上げた。どこから持ち出したのか、その手にはメガホンが握られている。
「何を言ってるんですか。論文作成は正規の研究業務ではありませんから、休暇扱いですよ」
環さんが当然のように告げる。
「こうして私達が論文を出すから研究所の有用性が認められてスポンサーがついてるんだろーが! なら立派な業務の一部だ!」
僕を挟んで環さんと紫さんの言い合い、もしくは怒鳴り合いが続いている。何をすべきかわからなかった僕は、ただ間に挟まっているしかなかった。
声がどんどん大きくなっていって煩いくらい。
発言を追って二人を交互に見ていると、そっと心さんが僕の腕を引っ張って間から出してくれた。
言い合っているせいで紫さんも気付かない。
「すずなくん、大丈夫?」
研究室の外、共用のラウンジまで出てきた所で僕らは休憩することにした。
「聴覚に少々影響がありますが、他は問題ありません」
「もう、二人とも大人気ないから。でもあれはあれでストレスが溜まらないからいいかもね」
紙コップのホットコーヒーを飲みながら心さんは苦笑した。
「まあ、紫さんに休みがないのも確かなんだけど。論文書くのも大変みたいだし」
「紫さんは論文を書いている時の方が寝ていません」
僕は見たままのことを述べた。心さんはうんうんと頷きながら困った表情になる。
「そうよね。でも書類上は休暇になってしまうのが難点」
「休むから、休暇ではないのですか?」
「どちらかというと、本来の業務以外は全部お休み、って感じね」
頬杖をついて心さんが呟く。
「紫さんはすごい人だけど、年相応に休ませてもあげたいわよね……」
「疲れがたまると効率が落ちます」
「そ、そういうことじゃなかったんだけど……」
僕が相槌を打つと、心さんは疲れたように突っ伏す。急に様子が変わったことに僕は驚いた。
「なにか、いけないことを言いましたか?」
「ううん。その通りでもあるわ……少しずつ学んでいけばいいんだもの」
心さんは僕の言葉にやわらかい微笑を浮かべて返した。
僕はよくわからなかったけれど、心さんの表情を真似するように笑って見せた。
「はい。紫さんごねてないで行きましょうねー」
「いやだー! おやじどもの話聞くよりすずなと遊ぶんだー!」
Fine.