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2010.12.5 【壊】
Novel Stage / original:Absoetia
《響き渡る重い慟哭》
目の前に立つ傭兵へ向かって剣を振りぬいたラートは、歩を止めることなく階段を駆け上がった。
頬を掠める風は時折進行方向から反れた流れを作り、騎士の焦燥を増す。
踏みしめる階段には既に事切れた傭兵達の成れの果てが何体も転がっており、そのいずれもどこかしらを切断されている。骨の部分まで平らな鋭利な傷口に張り巡らされた鋼線の罠を思い浮かべ、上にいるのがキルシェだと確信する。
ひどく長く感じられる高さにして数メートルの距離。それでも程なくして砦の最上部、櫓の部分へと到達する。
黒いヴェールと黒い衣に身を包む青年がその白き指先をも黒く覆ったまま空へと手を差し伸べていた。僅かに離れて向かい合わせられた両掌の間からは断続的に風の流れが生み出されている。
彼の視線を辿った先には敵国の砦。
大地に据えられたいくつもの木枠と上に乗せられた黒い筒状の金属。最近少しずつ実戦で使われるようになってきた大砲だ。
もっとも、既にいくつかは乱れて吹いた強風に砲弾を打ち返されて硬い砲身をひしゃげていた。何度も吹き荒んだ風は砲撃を避ける為だったらしい。
「大丈夫か」
「愚問です」
ラートが声をかけると疲れてはいるがしっかりした声が言葉を返してきた。
「向こうは妙に焦っているようですね。傭兵もろとも砦を壊そうとしています」
キルシェが言いながら側にあるロングボウを引き寄せるのを止めて、ラートは剣を収めると弓を手に取った。
急に砲弾が舞い戻ったことでパニックに陥る砲撃手の中でも、大砲の準備を続けようとする者から狙っていく。威力は高くても、速射では大砲が弓に勝つことは出来ない。
その様子を横目で見た黒衣の青年は伸ばしていた腕を下ろす。自然の風のみが吹き始め、矢を味方殺しに勤しむ者へと届ける。
幾筋も放たれる白い軌跡に混乱は加速し、否が応にも奇襲の失敗を悟らされた彼らの動きは既に統率下から離れていた。
その時、だった。
「……っ!?」
急に苦痛の呻きを上げた黒衣の青年が、ぐらりと上体を傾げる。
両耳を押さえて大きく開いた張り出しの間から落ちかける身体を、弓を放り出したラートが咄嗟に受け止めた。
「キルシェ、どうした」
「あなたには……きこえないの、ですか……?」
黒いヴェールの落ちた白い顔は眉がしかめられ、未だに苦痛が続いていることが見て取れる。
「俺には何も聞こえない」
「では、これ……は……っ!」
頭を押さえる指が白くなるほどに力が篭っている。苦痛によるものか、一筋の汗が青年の額から滴り落ちた。
「キルシェ!」
強く握り締められた指先が自身の掌を傷付けないよう押さえつける。その間にも痛いほどに力は増していっていた。
「ちがう。わたしは……わたし、は…………」
「何だ。何が聞こえるんだ!」
「……っ。はなれ、て……」
今までは苦痛にのみ抗っていた様子だったが今度は少し様子が違った。
震える指先が握り締めるのではなく、ある一点を示す。何もなさそうな中空に向かって。
「あれ、から…………はなれて……」
何もなかったはずの空には小さな赤い球が浮かんでいた。ふらり、ふらり、と風に浮かびながら、混乱した砲撃手達への方へと向かい。
消えた。
確かに一瞬前存在したはずの兵士の姿は文字通り影も形もなく消え去ってしまったのだ。
「な……」
理でもそう簡単に出来ない現象を見せられ、ラートですら息をのむ。ましてや理の存在すら半信半疑の兵士達にとって、その光景は恐怖以外の何物でもなかった。
恐怖にかたまり、逃げる者達を赤い球はどんどん消していく。やがて、風に乗ったせいかその光の球は彼らのいる砦へと向かってくる。
「いの、ち……かえる…………だい、しょう……」
抱える腕の中からは必死に切れ切れの声が説明しようと努力を続けているが、流れる汗の量も声の間の喘鳴も次第に増えていて余裕のなさが伺える。あまり続くと危険だ。
「あれを止めればいいのか、キルシェ」
「だめ、です……っ! ふれ……は…………も……っ」
そこまで言った時、黒衣の背中が弓なりに沿った。
「キルシェ!」
慌てて視線を戻すと、頭を抱えたキルシェが大きく赤い目を見開いた上、瞳の焦点を失いつつあった。同時に黒衣に包まれた青年が更に仄かな真紅の光を発していた。
光は段々輝きを増していく。
まるで、人々を消していく赤い球のように。
「キルシェ、どうした!」
「すみ、ま、せん…………イン、ト……ス……」
血の気を失った唇が謝罪の言葉を紡いだ直後、光が爆発した。赤がラートの網膜に張り付いてその視界を閉ざす。
光が収まったのはほんの数瞬後。
その時には、腕の中に抱えていたはずの重みが消えていた。
「……キルシェ?」
まだ赤に灼かれた視界で慌てて周囲を見回すが、どこにも姿はない。まるで光の球に消された人間の如く。
その日から、黒衣の青年の行方はまったく掴めない。
Fine.