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2010.12.3 【煌】
Novel Stage / original:Abyss of Time
《最後の雫》
何度も何度もサンプルを取り。
何度も何度もデータを見直す。
いくつもデータをグラフ化したウィンドウを表示させながら、頭を抱え、俯いたままの少女がディスプレイの前で突っ伏していた。
その肩は心なしか震えているように見える。
「皐月博士……」
側に立っている研究員が心配そうな、いや、泣きそうな表情を浮かべている。
この研究所に来て、共に研究を続けてきた者達は皆知っているのだ。年若い博士が『久遠の薔薇』に招聘されてから、どれだけの苦しみを押し殺して少年を造ったのか。
そしてデータが正確だった時、またどれだけの悲しみを背負うことになるのか。
「私は……私は……っ!」
だんっ!
スチールの机に強く、小さな拳が叩きつけられた。二度、三度。
そして再び振り上げられた拳は、机の天板へ届く前に男性の手によって止められる。
唇を噛み締めた少女が手首を掴む人影を振り返って見上げる。周囲の研究員に負けず劣らず沈痛な表情を浮かべているのは所長である徹。
「……紫くん」
ゆっくりと首を横に振る。
その動きを視界にとらえた少女は力を失い、椅子から滑り落ちて床に頽れた。
「せめて……時間があれば……」
呟かれた言葉はむなしく室内に広がった。
一か月かけて続いた戦闘訓練が終わって、僕は紫さんの研究室で結果を待っていた。
いずれのミッションも失敗していない。むしろ戻ってきてから急に反応が上がってきたような気がしていた。けれど、不思議と感じることはまったくない。
イレイサーの世界へ行った事が何か関係しているのだろう。そのくらいだ。
紫さんが来る前にとポットから湯を移しながら、自然と視線が向かう。よく使うから、と前に置いてあるマグカップは三つ。クロッカスの絵がついた紫さんのものと、野に咲く草花の絵がついた僕のもの、それから、夜空に真円の月が浮かぶ心さんのもの。
「心さん……」
心さんが僕たちと敵対し始めたかもしれない。徹さんに告げられた言葉は何故か簡単に受け入れられなかった。あんなに子供が大好きで、優しかった心さんが皆を傷つけようとするなんて信じられなかった。
「すずな」
いつの間にぼうっとしていたのだろうか。紫さんが研究室へ戻ってきていていることに気付かなかった。
「すみません、紫さん」
「いいんだ。とりあえず座らないか?」
薄く笑って紫さんは僕をソファへと促す。僕がポットを持っていく間に紫さんはマグカップに茉莉花茶のティーバッグを放り込んでいた。
席に向かい合って座る。話のきっかけが見つけられず、抽出時間の二分がとても長く感じられた。
ティーバッグを皿の上によけて、お互い口をつける。
「……お前に言わなきゃいけないことがある」
俯いたまま、紫さんはぽつりと呟いた。
「それも、酷いことだ」
マグカップを持つ手が少し震えていた。
僕はマグカップを置くと真っ直ぐ紫さんを見た。表情は見えないが、髪に隠れた顔が笑っていないことくらいはわかる。
だから、僕はできるだけ冷静に答えた。
「はい」
それでも紫さんはなかなか顔を上げられなかった。
しかしカップを置くと一つ大きなため息をつき、顔を上げた。毅然とした態度で。
「お前を……眠らせなきゃいけない。下手すれば、永遠に」
本当は酷く衝撃的なことなのだろう。けれど、心さんが敵に回ったと言われるより僕にはすんなりと受け入れられた。
「理由を聞いてもいいですか」
「もちろんだ」
紫さんは大きく頷くと僅かに視線を下にそらしながら言った。
「戻ってきてから、お前の反応はすこぶるいい。思考、行動、反射。全部いなくなる前よりも高くなっている」
だが、と言葉を切って、紫さんが強くマグカップを握りしめた。どれだけ力が入っているのか指先が白くなっている。
「モード〈リコリス〉の時……お前から発せられる波長は、イレイサーと同じものだ」
その言葉は悔しそうに噛み締められた唇から発せられた。
「僕は、イレイサーなのですか?」
「お前がイレイサーでないことは私がよく知っている。だが、イレイサーと同じ反応が発せられていれば……お前はいつか背中から、味方から殺されてしまう……っ!」
かたかたと机の上でマグカップが震える音がする。紫さんの震えが強くなったのだ。
「紫さん」
僕はその震える手に自分の手を重ねた。
「僕は、紫さんが決めたことなら、それが一番僕にとっていいことだってわかっていますから」
心さんが僕に自分の意見を聞かせてくれた時のように、ゆっくり微笑んでみせた。
「だから、苦しまないでください」
「……すまん。すずな」
紫さんは再び俯いた。ぎゅっと力の入った手は未だに強張ったまま、ぎこちなくマグカップから手を離すと僕の手を握りしめた。
「本当にすまない……お前は何も悪くないのに……っ」
「大丈夫です。いつか、紫さんが起こしてくれるのを待ってます」
数日後。僕は紫さんの研究室の一室で機能を停止した。
無理に笑顔を作っている頬にひとしずく、流れ落ちた煌き。
それが僕の最後の記憶だった。
Fine. And continued to "After the nightmare".