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2010.12.26   【鏡】

Novel Stage / original:Willwart&Absoetia

《天鏡は今日も美しかった》


 



 

 天空都市に降り注がれる光は今日も強い。
 だが、黒翼族の青年の心までは明るく染め上げてくれなかった。

 本調子まで戻っていないところにこの上ない衝撃を受けた黒翼族の青年は再び寝込むかと周囲には思われていた。
 しかし実際は逆だった。なかなか眠りにつくことができないのだ。
 夢に入ればどうしても思い出される。彼を世界へと引き戻してくれた少女のふわふわの金色の髪、きらきら輝くエメラルドの瞳、ぱたぱたと羽ばたく白く小さな翼、なによりころころ変わる生気に満ち満ちた表情。
「……パール」
 決して長い時間ではなかったが共にした時間は非常に密度の高いものだった。白翼族の少女を見て退屈することはなく、目が離せなかったからだ。
 あの輝く笑顔を、見ていたかった。
 だが彼女は、結果として青年の為に自らを捨てた。
「……すまない……」
 少女がよく入り浸っていた空中都市にある絵本から専門書だけでなく、地上にある書物も多く集められているブラックスター家の書庫。青年もまた、思い出を求めてこの場所にいるようになった。
 毎回適当に何か本を一冊取って開くが、心は直に過去へ飛ぶ。そんな日を続けて数日。
 ぼんやりと追憶にふけっている最中に書庫の扉が開いた。
 何気なく入ってきたのは予期せぬ地上からの来訪者。
 中に人がいると聞いていて、ギルフォードも気配を隠そうとしていない為、彼がいること自体にはキルシェは驚かない。
 手に持った絵本を返すべく本棚を見まわし、片頭痛を覚えたように左のこめかみに手を当てた。戻す棚も次の本の指示もフォレスターから受けている、が、それは翼を持つ者でなければ届かないほど高い。
 絶対にわざとだ。
 そう思いながら、キルシェはぼんやりとしている青年へと声をかけた。
「すみません」
 応えはない。
「すみません」
 もう一度声をかけるが結果は同じ。様子から見てもほぼ予想通りだ。
 けれど、青年はもう一度声をかけた。今度は軽く肩も揺さぶって。
「非常に申し訳ないのですが、手を貸していただけますか?」
 今度は流石に焦点の合わなかった瞳が光を取り戻して、青年を見上げる。キルシェとギルフォードはほぼ同じくらいの身長なので、座っている分ギルフォードの方が低いのだ。
「あなたは……?」
 黒翼族の青年がまず尋ねたのはそこだった。
 初対面の青年。
 ただ普段のギルフォードであれば、青年の背に翼がないことを見て直に正体を悟っただろう。
 けれどキルシェはあえてその点に踏み込まず、少し強引に自らの希望を伝える。
「キルシェと申します。すみませんが手を貸していただけますか?」
「あ、はい」
「この本を元の棚へ戻して続きをお借りしたいのですが、あいにく私の手では届かないもので」
 青年は言いながら絵本を手渡す。
 ギルフォードは手が届かないという言葉を不思議に思い、改めて彼を見直してようやく違和感に気付く。
「地上の……!」
 慌てて立ち上がったはずみに、がたん、と椅子が倒れた。ぱくぱくと口を開閉させる様子に、キルシェは少し困ったような表情を浮かべてみせる。
「そんな珍獣を見るような目で見られても困るのですが。もっとも、この都市では下手な珍獣より私は珍しいのでしょうけれど」
「あ、ああ……すまない」
 口ではそう答えつつ、黒翼族の青年は驚きを隠せなかった。何故地上の人間が平然とここにいるのか。それとも地上の人間ではないのだろうか。
 キルシェの容貌が、一瞬ギルフォードにそう思わせた。
 天上でも地上でも白い髪に紅い瞳というのはあまり見かけない。また例え地上で彼の姿を見ていたとしても、今の青年の姿は全身黒衣ではなく、この家で借りたスカイグリーンの長くゆったりとした上衣にコルク色のズボンだ。印象で一致させることは難しいだろう。
 固まってしまった黒翼族の青年へ、キルシェはもう少し言葉を継いだ。
「私は間違いなく地上の人間ですよ。理由は……おそらくまだお話ししない方がよろしいでしょう」
 まるで苦しみに耐えるような口調でギルフォードはキルシェへ尋ねた。
「あなたも、パールに関わりがあるのか?」
「白い翼の地上に降りてきた幼い少女の事を言うのであれば、私がここに来た事には関わりがあります」
 理師の青年はきっぱりと告げた。ここまで隠すことは彼の為にならないと踏んだからだ。
 すると、ギルフォードは力なくその場に腰を下ろした。落とした、という方が正確かもしれない。
「……俺は、どれだけ皆に迷惑かけているんだ……」
 そのまま俯くと立てた膝の上に額を押し当てる。キルシェにはその表情をうかがうことはできないが、おそらく辛い表情を浮かべているのだろう。
 わかってはいたのだが。
「……そうしていれば全て終わってくれますよ」
 キルシェはあえて放っておかなかった。
 フォレスターの求めている役割を果たすために。だからこそあえて、彼もアレックスもついてこなかったのだ。
「あなたの手の届かないところで、あなたが抱いた後悔も何もかも放られたまま、勝手に終わります」
 青年はしゃがみこんで俯く青年と頭の位置を揃える。表情は見えないが、何かつぶやいたとしたら聞こえる位置だ。
「それが、あなたの望みですか?」
「……これ以上、失いたくないんだ……」
 ギルフォードが地上へ行き、干渉した為に起こった出来事。自らのせいで大切な者を失った苦痛は、青年に悔恨以外の行動を取らせない楔となっていた。
 その犠牲者の一人であるキルシェだがギルフォードを責めはしない。
「何もしないで失われるものもあります。何かをして失われるものもあります」
 見た目の年齢としては二人の差は大してなく、実際の年齢としてはギルフォードの方が長く生きている。
 それでもキルシェには言えることがある。幼くして、いや、ほぼ生まれながらにして数多くの大切なものを失った彼だからこそ。
「私たちには正解を選ぶことなど出来ないのですから、取りうるなかでもっともやりたいことをやるしかないのですよ。少しでも自分が納得できるように」
 ギルフォードは俯いた頭を上げる。
「パールを失って……納得など、出来ない」
 噛み締めるように発せられた言葉。
「出来る、ものか……っ!」
「それがあなたの望みなら、取り戻せばいいのです」
「簡単に言うな!」
 淡々と告げられた言葉にギルフォードはキルシェへと掴み掛る。不安定な体勢で両肩をつかまれたキルシェは後ろへ倒れ、ギルフォードの両腕で床に押し付けられる形になった。
「あなたに何がわかる!」
 怒りに震えた光が青年の落ち着いた紅によって受け止められる。
「あいつは……もう、帰らないんだ……っ」
「納得など出来ないとおっしゃったのはあなたです」
 痛いほどに掴まれた肩。それでも表情を変えずにキルシェは言葉を紡ぐ。
「帰らない、とおっしゃるのなら、あなたは彼女の喪失を納得したことになる。違うというのなら、彼女はまだ在るのですから取り戻せばいい」
「だが……!」
 ギルフォードには、いや、天空都市の人間にとって議会を敵に回した時点で不可能とほぼ同意語だった。なにより、これ以上事を大きくしてはアレックスやフォレスターがどうなるかもわからない。
「あなたのもう迷惑をかけたくないという考えも私はわかっているつもりです。けれど、あなたにとって一番の願いは何ですか?」
 胸中に渦巻く言葉を上手く発せられず唇を噛み締める黒翼族の青年に、キルシェはあくまで問う。
「あなたにとって最も大切で、切実な願いを導き出しなさい。それが、あなたの取るべき道の指針となってくれますよ」
「一番の、願い……」
 呆然として繰り返すギルフォード。禁忌という衝撃と納得はしなければいけないものだという常識が曇らせていた思考の霧に、少しだけ風が通った気がした。
「……その前に、私の上からよけて先程の頼みを聞いていただきたいですけれど」
 再び黒翼族の青年が固まる前に、青年はため息をつきつつ言った。
「す、すまない」
 ようやく気付いたようにキルシェを起こすと、彼は本を棚の次の巻と交換してから差し出す。
「ありがとうございます」
「いや、こちらこそ助かった」
 受け取って退出しようとした理師の青年は、最後、扉を閉める前に一言残した。
「少女の願いは死からすらあなたを取り戻しました。本当の願いに、不可能なことはそうそうないものですよ」


 Fine.


 

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