365 letters 2010.10.20 忍者ブログ
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2010.10.20   【数】

Novel Stage / original

《Mathmatic Dream》


 



 

 それはどこでもない場所。
 それはいつでもない時間。

 その空間を例えるのであれば、上下左右三六〇°全面の満天の星空、とでも言おうか。
 足はしっかり踏みしめている感覚はあるが、床は見えない。見えるのは深い闇の色に浮かぶ多くの小さな輝き。
 一歩前に踏み出せば足場があるのかもしれないが、とてもじゃないがそんな気分にはなれない。
 ただ立ちすくんだまま周囲を見回す。
 星以外の輝きがないかどうか目を凝らしていると、後ろから肩が叩かれた。
「迷い子かね?」
 反射的に肩へ触れたものをひっつかんで目の前に叩きつける。
 掴んだそれは手袋の中に柔らかい綿が詰まった感触。
「いや、子供と言うには歳をくっているかな」
 けらけらけらと笑う布製の口。
 太い毛糸のオレンジの髪。目は深い森の緑のボタン。薄いピンクの肌と赤いワンピースはフェルトで、白い手袋と黄色いラインの入った赤いずきんが布だった。
 見た目は女の子だが、聞こえる声は初老の男性の低いバス。
「まあよい」
 ぽんぽんと裾をはらいながら、人形は膝を折って一礼する。
「ようこそ。数カフェ、セオレムへ。お茶の一杯も出せないがゆっくりしていきたまえ」
 どうやら訳の分からない場所には訳の分からない人形が出るらしい。
 とりあえず言葉は無視しておそるおそる座ってみる。立っているのに飽きたのだ。
 後ろについた手は足下と同様しっかりした平面をとらえる。強度は問題ない。
 あぐらをかいて座ると、あの人形がけらけら笑って下に向けた視線のしたへはいる。
「おや、つまらなさそうだね。算数や数学が嫌いかね?」
 好き嫌い以前に興味がない。
 思った通りに答えると人形の笑い声は更に強くなった。
「興味がない? それはそれは。君はあれだね。ハサミが何故切れるのかと問われれば、こともなげにハサミだからと答えるのだろう」
 赤ずきん人形が男性の声で腹を抱えて笑う。
「身近に詰まった英知を知らないどころか知ろうともしないのだろう。ほっほぅ!」
 何が楽しい。
 頭をガクガク揺らしていた人形がちらり、と毛糸の間から見上げてくる。
 刺繍糸の赤い口の端が持ち上がったように見えた。
「おや、つまらなさそうなお顔が更につまらなくなったね。悔しいのかい?」
 くるん、と右足を軸にして人形は横に一回転した。
「いやいやそうではないね。わけがわからないのがイヤと言うところか。かわいいところもあるものだ」
 だんだん腹が立ってきた。
 こちらが何も言わないのをいいことに言いたい放題言ってくれるこの人形に。
 しかしこんな時に限って布製の赤ずきんは空気を読まない。
「ならば語ろう! 君は"いちたすいちはに"という基礎の基礎中の基礎を知っているだろう? あれを証明するのがどれほど難しいかも知っているかい?」
 人形がぽんと布の手を打ち合わせると、唐突に小さな黒板が現れた。古い学校にあるような木枠の黒板だ。
 同時に出現したチョークが白い手に握られる。小さな人形では片手で持つのがぎりぎりに見える。
「いくら細かいことに興味のない君でもちょっとしたとんちくらいならわかるかね? "いちたすいちはに"が真であるのと同様"いちたすいちはいち"というのも真だと言うことがあるだろう」
 かっかっかっ。
 かつて聞いたような音が眼下で聞こえる。黒板には今人形が述べた二つの等式。
「これは条件によってどちらも真になりうる。つまりこの計算を証明するためには舞台を整えてやる必要があるのだよ」
 誇らしげな人形。
 もっとも、興味は相変わらず惹かれることはなかった。しかし他に見えるものといったら、目が痛くなる満天の星の空間だけなのだ。目をそらし続けるのも限界があった。
 それに、音に関してはこの低いバスしか場にない。内容は嫌でも耳に入ってくる。
「まず"いち"という数字に込められた意味が重要になってくる。多くの場合その舞台を構成する最低要素だがね」
 ぴっとチョークが"いち"を指す。
「更にこれ。"たす"という記号の意味も重要だ。加えるというのはそう単純なことではないのだよ?」
 だからなんだ。
 心の中で呟いたと同時に、黒板へ向かっていチョークが目の間、眉間へと突きつけられる。
「"いち"と"に"と"たす"と"は"の全てを定義し、そのいる世界を構築する。ここまでしなければ"いちたすいちはに"という単純なものは証明できないのだ」
 わかったから目の前からチョークをどけろ。
 理解する気もないままに目の前のうっとおしいのを睨む。
 目線の先ではにんまり、と刺繍糸が三日月の形に曲がり、人形は再びけらけらけらと笑い出す。
 その途端、じりじりじり……と時計の音が鳴った。
「おやおや、お帰りの時間だ。機会があればまた来たまえ」
 周囲の星が次第に小さくなり、あれほど目に痛かった輝きが闇の中へと取り込まれている。
「なにしろちゃんと聞いていったのは君くらいなものだ」
 最後に相対的に見えなくなっていく赤ずきんが膝を曲げて一礼しているのが見えた。


 Fine.


 

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