大きな傷跡。小さな傷痕。
例え客観的に見た欠落や破壊の大きさに差があったとしても、天から降り注ぐ煌きに塔が打ち砕かれたという終焉には変わりがない。
失われるものは、なくならない。
巨大な樹の根に抱かれた小さな家。元気のいい魔法使いの子供たちが外出している今、家の中は物静かな家主の少年だけ。
いや、そのはずだった。
「お客様なら玄関からどうぞ」
大きな机でぼんやりと本を開いていた彼は、顔を上げると誰もいない空間へ呟いた。
「戦いに来たのではないのでしょう?」
どこか物騒な言葉を使いつつも表情は非常に穏やかな微笑み。まるでティータイムにでも誘っているかの様だ。
空気がわずかに揺らぐ。
態度を変えない少年が待つこと数分。控えめに扉がノックされた。
少年が、どうぞ、と返す暇もなく、既に幾度か会ったことのある女性が入ってきた。
ライトブラウンの髪をまとめ上げて止め、女性らしい柔らかな曲線の姿態をエメラルドグリーンより少し薄い緑の胸が開いたチャイナドレス風の服に包む妖艶な笑みを浮かべる女性。
宝石泥棒。珠魅を狩る者。
「いらっしゃいませ。サンドラさん」
「ご丁寧にありがとう」
あくまで落ち着いて椅子を勧める少年に対して、隠れていたのが悟られてしまった女性はどこか憮然とした表情だ。
椅子を引く所作はあくまで丁寧に、だが乱暴な動作で座ると、厳しい口調でゆったりと座る少年へ要求を突き付けた。
「これ以上私達の問題へ関わるのはやめなさい。痛い思いだけでは済まなくなるわよ」
叩きつけるように言い放つと、女性は足を組んで鋭い目で彼をじっと見ている。
彼女は数度、この少年と遭遇している。介入によって目的が果たせなかったことはないが、手を回さなければいけないほど気になる存在であることは確かだ。
だからこそ直接的な関係があるわけではない彼にもうかかわって欲しくなかった。いつか、邪魔しきられるかもしれない。
強い口調も睨みつけるような視線も変わらぬ笑みのまま受けた少年は、やはり表情を変えずに。
「お断りします」
拒絶した。
居間の空気が温度を下げていく。
「何故? 貴方に関わる理由なんてないでしょう」
「そうでもありません」
より厳しくなった視線を穏やかな表情で受け止めた少年は、机の上に両肘をつくと指先を組み合わせてそっと瞼を落とす。
「ひとつを失えば、ふたつを失うのも同じ。だから、私はまだ失わざる者がこちら側へ来ないように心を砕きましょう」
彼は核を失う珠魅を見た。仲間を失い悔しがる珠魅の叫びも聞いた。
優しそうな柔らかい口調で告げる少年の言葉は、酷く重いもののように冷えた空気へ低く響いた。
「……それに、プロローグを読んだストーリーを途中で投げ出すのもあまり褒められたことではないですから」
少年の抱える想いは彼女の持つ想いと遠い。だからこそ、異質な響きを共感できる。
「そう」
柔らかいが故に千切れないだろうことを思わせる言葉に。女性もまた瞳を閉じて首肯した。
そして座った時とはうってかわって優雅な仕草で立ち上がると、一言だけ残した。
「後悔しないことね」
「しません。まだこうして言葉が交わせるうちは」
女性が扉を潜る背で聞いた最後の言葉は、少年が日常的に持つ柔らかな雰囲気を持っていた。
かつて天に近付きすぎた罰のように。
失ったものへは、もう、言葉は届かない。
Fine.